震災で奪われた先行経験の機会をあたえ「つなげて考える授業」を実践――「理科教育助成」実施校の先生に聞く(第19回)福島県福島市立岡山小学校

(左から)福島市立岡山小学校元校長の先崎信雄先生と、元研究主任の猪狩英究先生。

理科の学びでは、子どもたちに日常生活や遊びなどで得てきた経験と、授業で先生から提示された事象の「ズレ」や「矛盾」を感じさせることが大切とされます。そのズレや矛盾が、「どうしてだろう」「もっと知りたい」といった学ぶ意欲のもととなるからです。

 しかし、なんらかの理由で、日常生活や遊びでさまざまな経験を得る機会を奪われてしまう子たちもいます。こうした子たちが授業で提示された事象に対してズレや矛盾を感じるためには、先生たちの工夫やしかけも必要となりそうです。

 福島市立岡山小学校は、2011年の福島第一原子力発電所事故の影響で屋外遊びの機会を奪われた多くの子どもたちに対し、できるかぎりその経験を補完させる場面を学校であたえ、そこで生じるズレや矛盾を既存知識や友だちの考えとつなげて解決していくかたちの授業をおこなってきました。日産財団理科教育助成を活用した同校の2014年度からのこの取り組み「学ぶ喜びを実感できる授業づくり〜『つなげて考える授業』の実践〜」に対し、日産財団は第5回理科教育賞で教育賞を贈っています。

 今回、当時の岡山小学校で校長をつとめていた先崎信雄先生と、研究主任をつとめていた猪狩英究先生からお話を伺う機会を得ました。子どもたちの興味のタネになるような教材を教室に置いたり、子どもたちに疑問を抱かせるような実演を行ったりと、学校でおこなった取り組みの数々を紹介していただきました。

 

自然環境に触れる機会が奪われる

――岡山小学校がどのような特色をもつ学校であるか、就任されていたころを振り返っていただけますか。

先崎信雄校長先生(以下、敬称略) 岡山小学校は1873(明治6)年開校の、歴史ある学校です。近くには阿武隈川があり、白鳥飛来地や「福島市小鳥の森」が学区内にあります。1985(昭和60)年には「緑の少年団」にも嘱託されるなどし、自然体験活動を活発におこなってきました。子どもたちは、自然豊富な環境を教材とし、多様で豊かな経験をしてきました。

 ところが、2011(平成23)年の東日本大震災・福島第一原発事故が起きてからは、「生きものに触れてはいけない」「魚をすくってはいけない」といった制限の期間が長く続きました。原発事故が起きた中、そうした自然環境に触れても大丈夫なのかという懸念が学校内外で大きくなっていたのです。

先崎信雄元校長先生。大学卒業後、製薬企業勤務を経たのち教員免許を取得。福島県の教諭に採用される。理科の教育・研究に傾倒し、学校での授業のほか、理科教育のサークル活動もおこない、日本初等理科教育研究会の福島支部発足にも尽力。福島県内の学校で教頭・校長をつとめ、2016年4月から2018年3月まで、福島市立岡山小学校校長に着任。定年退職後も再任用教諭として県内の学校で初任者研修指導教員をつとめる。

猪狩英究先生(以下、敬称略) 原発事故以降、人々の放射線に対する警戒心は大きなものとなりました。保護者の方を集め、放射線についてお話しをする機会ももちましたが、さまざまな学者たちがさまざまな言動をとっていたこともあり、放射線についての真の理解を得づらい状況が続きました。

子どもたちには、「大人になったとき、福島出身ということで原発事故のことをきっと聞かれる。放射線のことをきちんと語れる大人になってほしい」と伝えてきました。

猪狩英究先生。福島県の教諭に採用され、県内の小学校でつとめたほか県教育庁文化課の遺跡発掘調査員としても勤務。当初、音楽活動に興味をもっていたが、当時の赴任先の福島市立三河台小学校の理科研究活動を機に、理科教育の研究も本格化。ソニー財団教育実践論文で2度、最優秀賞を受賞。岡山小学校には2014年4月から2017年3月まで赴任し、研究主任をつとめる。現在は再赴任先の三河台小学校で勤務している。

――子どもたちが自然環境に触れる機会をもてなくなったことで、どのような状況になりましたか。

猪狩 屋外遊びができなくなり、子どもが本来するような砂遊びなどの経験をしていない子もいました。自然環境に触れる経験が欠落し、自然に目を向けること自体がなくなっていました。加えて、IT化などにより生活自体も便利になり、「自然観」が形成されない子が多くなりました。

 

自然環境に触れる機会が奪われる

――そうした状況のなか、先生方は「学ぶ喜びを実感できる授業づくり〜『つなげて考える授業』の実践〜」をテーマに研究活動に取り組まれました。子どもたちは、自然環境に触れる機会を奪われていたとのことですが、その状況に対して、どのようなことをされましたか。

猪狩 まず、子どもたち一人一人に主体的な問題解決力を育みたいという考えが前提にあります。そのためには、子どもたち全員に追究活動の必然性をもたせる必要があります。授業で新たな事象に出合ったとき「あれ、自分が知っていることとちがう」といったズレや矛盾を感じ、おのずと「どうしてだろう」「解決したい」と思うようにさせるということです。

しかし、申しあげたとおり、屋外活動が制限されていたため、子どもたちのなかにズレや矛盾を感じるための素朴概念が形成されていません。そうした子どもたちに最低限、追究活動のために必要な原体験の機会をあたえる必要があったわけです。

そこで、各単元で「第0次」となるような体験を子どもたちにさせたうえで、単元の「第1次」を迎えられるようにしようと考えました。「第0次」で子どもたち全員に素朴概念が形成されたら、単元の本時、つまり「第1次」がスタートし、私ども先生が事象提示をするわけです。

――「第0次」において、子どもたちにどんな体験をさせたのでしょうか。

猪狩 まず、子どもたち一人一人に主体的な問題解決力を育ませたたいという考えが前提にあります。そのためには、子どもたち全員に追究活動の必然性をもたせる必要があります。授業で新たな事象に出合ったとき「あれ、自分が知っていることとちがう」といったズレや矛盾を感じ、おのずと「どうしてだろう」「解決したい」と思うようにさせるということです。

先崎 ほかにも、放射線を除染した水で校内に「池」のような環境を用意した先生もいました。ザリガニなどの生きものの卵も入れておきますが、子どもたちには「卵を入れたよ」とは伝えません。やがて子どもたちは、水のなかでなにかが泳いでいるのに気づきます。子どもたちは、「もしかして、卵から赤ちゃんが生まれたんじゃないの」などと話します。

先生たちの活動を見て、「第0次」は工夫次第で実現できるものだという思いを強くしました。

――そうした機会を用意して子どもたちの先行体験を待つことには、ご苦労もあったのでは……。

猪狩 担任の先生が、子どもたちにきっかけになることを意識的に投げかけることもありました。「理科室に、見たことのない水槽が置いてあったよ」などと言って、子どもたちに興味をもたせるようなこともありました。

時間がどうしても足りなければ、単元の最初に「第0次」を組み込んで子どもたちに共通体験をさせることもありました。たとえば、3年生の理科には「風やゴムで動かそう」という単元がありますが、開始前に子どもたちにポリ袋を使った「ムササビごっこ」をさせて、受ける風の強さを体感させたりもしました。

 

あれ? どうして? 追究を導くような演示も

――研究では、副題にもあるように「つなげて考える授業」を意識したと聞きます。「つなげて考える」にどんな意味を込めていたのでしょうか。

猪狩 問題解決するときは、自分が得てきた経験から使えるものを引っ張りだして使うものです。これは大人だけでなく子どもにもいえることです。それまでの自分の経験、あるいは友だちの話などを材料に、それらを「つなげて考える」ことで解決したい問題について説明できるように仕向けることを意図しました。

たとえ自分の経験が乏しいとしても、授業の中でそのように仕向けるため、いろいろ教材は考えて、子どもたちに示しました。

――どんな教材ですか。

猪狩 たとえば、4年生理科の「ものの体積と温度」では、冷えた水と熱いお湯を用意し、ペットボトルを逆さまに入れて、どうなるかを示しました。

冷水にペットボトルを逆さまにして入れたとき、熱湯に入れたとき、さらに再び冷水に入れたときで、それぞれに異なることが起きることを見せます。そこにあるのは空気と水だけであり、ちがいはといえば「温度」しかありません。子どもたちは、「温度のちがいで、ペットボトルの入っている空気がなにかしら変化した」と思うはずです。このプロセスを経てから、「ペットボトルの空気になにが起きたんだろう」とさらに追究させていくわけです。

4年生理科「ものの体積と温度」を始めるにあたり、子どもたちに演示した内容。取材時も猪狩先生に再現していただいた。

もう一つ、6年生理科の「物の燃え方と空気」では、2個の広口瓶を用意し、ロウソクにつけた火を入れ、ちがいを示しました。片方の瓶では火が消えますが、しばらくふたを開けたままにし、再びその瓶に火を入れると、火はまたしても消えます。子どもたちは「ふたを開けておいて、気体が薄まったはずなのに、なんでだろう」となります。

実際、翌朝ある女の子が「先生、わかったよ。あの瓶には重い気体が入っていたから、ふたを開けても気体が出ていかなかったんだ。家で調べたけど、二酸化炭素だったんでしょ」と言ってきました。

この子ほど理解が進まなくとも、子どもたちに「気体によって火が燃える・燃えないが決まるんだ」「火を燃やす気体はなんだろう。火を消す気体はなんだろう」といった疑問を抱かせて、学習に入っていくわけです。これにより、以降の授業でおこなう一つ一つのことに「意味」を感じられるようになります。

 

6年生理科「物の燃え方と空気」を始めるにあたり、子どもたちに演示した内容。

子どもたちのセレンディピティが増えた

――取り組みの成果についても振り返っていただきます。子どもたちはどう変化しましたか。

猪狩 子どもたちが理科のことを好きになったことは、アンケート調査でもわかりました。もともと「理科が好き」は80%を超えていましたが、研究初年度の年度末には95%を超えました。

 セレンディピティ、つまり思いがけないものを発見するような能力や機会が増えていることも実感しました。何か月も前に疑問をもたせるように話したことについて、「先生、あれわかりました。きのうテレビでおなじようなことをやっていたのを見ました」と言ってきた子もいます。その子は頭の中でずっと疑問をもちつづけていたのだと実感しました。

――先生たちのほうは取り組みを通して、どう変化しましたか。

先崎 複数の先生が、理科教育の地道な「循環」を途絶えさえてはならないということに気づいてくれたものと思っています。今回の取り組みで理科に関心が高まり、授業が楽しくなり、その思いを子どもたちに還元していった先生の姿が見られました。理科のおもしろさややりがいとともに、理科を伝えていくことの大切さにも気づいてくれたものと思います。

 近年は、社会状況の変化もあり、理科教育の人材が生まれにくくなってきていると感じます。だからこそ、学校で理科のおもしろさに気づいた先生が「理科にはこんな意味やおもしろさがあるんだよ」と伝えていかないと、理数教育の未来は危ういと思います。ここに学校現場で理科の研究に取り組む意義があるのだと、私自身も実感しました。

授業以外の実践活動もおこなった。(上2段)「サイエンスラボ」。4年生から6年生の子たちが、先生たちが各自準備したワークショップのブースに興味のおもむくまま訪れ、サイエンスショーを見たり、ものづくりを体験したりした。(下)外部講師の招聘。子どもたちに授業をしてもらったほか、国立教育政策研究所の理科学力調査官や大学の理科教育研究者などを招いて「理科の構え」についての研修会を開催。近隣の学校にも参加をよびかけた。(写真提供:福島市立岡山小学校)

 

子どもに寄り添ってほしい、実体験を伴う理科でありつづけてほしい

――最後に、授業や研究などにより理科教育をおこなってきたお二人から、記事を読んでいる先生たちにメッセージをお願いします。

猪狩 理科にかぎったことではありませんが、子どもたちはさまざまな体験を通して「物質観」「液体観」のような「観」を培っていきます。そしてそれらをつなぎながら自分で「概念」をつくりあげていくものです。先生たちは、そうした子どもたちにいかに寄り添い、サポートするかが問われていると思います。

子どもたちにも一人ひとりに個性があるので、ものを見るときのフレームワークもちがいます。ほかの子のフレームワークにも触れることで、見えなかったものが見えてくることもあります。先生の事象提示や話題提供によっても、子どものフレームワークをは変わるものです。先生がそうしたことをどう捉えているかが大事だと思います。

子どもたちへの評価は、決して結果だけを見ておこなうべきものではありません。子どもが伸びていく途中でのアセスメントという意味での評価が大切だと思います。子どもがおこなっていたことを見て、授業中や授業後、その子が伸びていくために、先生としてなにができるか。「子どもたちに寄り添う」という構えで授業に臨むことが先生には必要だと思っています。

先崎 GIGAスクール構想で、子どもたちにコンピュータ端末が1人1台もつようになり、学校現場にも変化が起きていくことと思います。しかし、そうした変化が過度になると、理科の学習でもコンピュータや情報技術に頼りきりになってしまうのではないかと危惧もしています。

観察や実験という「実体験」を伴わない学習は理科ではありえません。子どもたちにとって真に興味を抱くのは、実物を介した観察や実験であるということを決して忘れてはならないと思います。猪狩先生が示したような、泡ぶくが出てくる瞬間や、炎が消える瞬間の感動は、実物を見てこそのものだと思います。